2010年03月09日
●『コララインとボタンの魔女』
●『コララインとボタンの魔女』
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のヘンリー・セリック監督(『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の
監督がティム・バートンだと思っている人もいるかもしれないが、ティム・バートンは、原案・設定など)によ
るストップモーション・アニメ作品。
ストップモーションとは、実物の人形や物を少しずつ動かしては撮影するという作業を繰り返して動画を作成する手法。
要は、セルアニメを1枚1枚撮影したスチルを使って作るという感じ。考えただけでも気の遠くなる作業だが、ちゃんと
動画になるように動かしていくのには相当な技術を要する。ストップモーション・アニメの大家といえば、真っ先にレイ・
ハリーハウゼンの名前が挙がる。ハリーハウゼンが生み出した『シンドバッド』シリーズや『アルゴ探検隊の冒険』、20
10年に最新鋭のCGでもリメイクされる『タイタンの戦い』など、今なお名作と呼ばれるストップモーション・アニメ作品は
多い。アニマトロニクスやパペットという技術をエンターテイメントや芸術まで引き上げたのがジム・ヘンソンだとしたら、
ストップモーション・アニメという技術を多くの人に知らしめたのは、ハリーハウゼンだといえよう。事実、ヘンリー・セリッ
クもティム・バートンもハリーハウゼンに多大な影響を受けており、両者ともインタビューなどでハリーハウゼンの名を口
にする事も多い。
『コララインとボタンの魔女』も往年のストップモーション・アニメ作品に引けをとらない素晴らしい完成度になっている。
CGとは違う温もりや存在感のある画は、どんなに美麗なCGでも絶対に出す事のできない世界を描き出す事に成功して
いる。人形でありながら、命があり、そこに本当に存在しているかのような登場人物たちは、時に愛らしく、時に可笑しく、
時に不気味で、観る者の心を惹きつけて止まない。
お話自体は、御伽噺のノリで、主人公の勇ましい少女・コララインが困難にもめげず魔女に立ち向かっていくという感じで、
途中で泣けたり、「なるほど、そういう展開で来たか」と唸るストーリー部分もほとんどなく、淡々と流れるように進んでいく。
それでも、本作を多くの人に観て欲しいと思うのは、やはり他に類を見ないその技術の素晴らしさがあるからだろう。
それは、職人の技、匠の技を目の当たりにした時の感動にも似ている。昨今のゲーム業界もそうだが、何でもかんでも
3DグラフィックやCGにしてしまう風潮の中で、手作り感のある本作の持つ価値というのは、とてつもなく大きい。
エンターテイメントやアート、芸術に従事する者、またはそういう分野に興味がある者は、久しぶりのストップモーション・
アニメ作品の新作を是非堪能してもらいたい。
公開している劇場のほとんどが吹き替え版で、字幕版は幾つかの劇場でしか公開しておらず、コラライン役のダコタ・ファニング
(『マイ・ボディガード』『宇宙戦争』など)や黒ネコ役のキース・デヴィッド(『ピッチブラック』『メリーに首ったけ』など)の生声が
聴けないのが残念といえば残念である。

『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のヘンリー・セリック監督(『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の
監督がティム・バートンだと思っている人もいるかもしれないが、ティム・バートンは、原案・設定など)によ
るストップモーション・アニメ作品。
ストップモーションとは、実物の人形や物を少しずつ動かしては撮影するという作業を繰り返して動画を作成する手法。
要は、セルアニメを1枚1枚撮影したスチルを使って作るという感じ。考えただけでも気の遠くなる作業だが、ちゃんと
動画になるように動かしていくのには相当な技術を要する。ストップモーション・アニメの大家といえば、真っ先にレイ・
ハリーハウゼンの名前が挙がる。ハリーハウゼンが生み出した『シンドバッド』シリーズや『アルゴ探検隊の冒険』、20
10年に最新鋭のCGでもリメイクされる『タイタンの戦い』など、今なお名作と呼ばれるストップモーション・アニメ作品は
多い。アニマトロニクスやパペットという技術をエンターテイメントや芸術まで引き上げたのがジム・ヘンソンだとしたら、
ストップモーション・アニメという技術を多くの人に知らしめたのは、ハリーハウゼンだといえよう。事実、ヘンリー・セリッ
クもティム・バートンもハリーハウゼンに多大な影響を受けており、両者ともインタビューなどでハリーハウゼンの名を口
にする事も多い。
『コララインとボタンの魔女』も往年のストップモーション・アニメ作品に引けをとらない素晴らしい完成度になっている。
CGとは違う温もりや存在感のある画は、どんなに美麗なCGでも絶対に出す事のできない世界を描き出す事に成功して
いる。人形でありながら、命があり、そこに本当に存在しているかのような登場人物たちは、時に愛らしく、時に可笑しく、
時に不気味で、観る者の心を惹きつけて止まない。
お話自体は、御伽噺のノリで、主人公の勇ましい少女・コララインが困難にもめげず魔女に立ち向かっていくという感じで、
途中で泣けたり、「なるほど、そういう展開で来たか」と唸るストーリー部分もほとんどなく、淡々と流れるように進んでいく。
それでも、本作を多くの人に観て欲しいと思うのは、やはり他に類を見ないその技術の素晴らしさがあるからだろう。
それは、職人の技、匠の技を目の当たりにした時の感動にも似ている。昨今のゲーム業界もそうだが、何でもかんでも
3DグラフィックやCGにしてしまう風潮の中で、手作り感のある本作の持つ価値というのは、とてつもなく大きい。
エンターテイメントやアート、芸術に従事する者、またはそういう分野に興味がある者は、久しぶりのストップモーション・
アニメ作品の新作を是非堪能してもらいたい。
公開している劇場のほとんどが吹き替え版で、字幕版は幾つかの劇場でしか公開しておらず、コラライン役のダコタ・ファニング
(『マイ・ボディガード』『宇宙戦争』など)や黒ネコ役のキース・デヴィッド(『ピッチブラック』『メリーに首ったけ』など)の生声が
聴けないのが残念といえば残念である。

2009年07月31日
TRON LEGACY
『TRON(トロン)』は、1982年に製作されたCGによるディズニー映画。
コンピュータープログラムの世界を斬新な映像と世界観で描いた名作だ。
今でいう『マトリックス』やオンラインゲーム仮想世界の先駆けだといえよう。
フランスの画家・メビウスや『ブレードランナー』のスピナーのデザインで有名なシド・ミードもデザインワークに参加しており(オタ電的にいえば、『ターンAガンダム』のMSデザインといったところか)、
アニメーターとしては、ティム・バートンが参加していたりもする。
日本のゲームクリエイターたちにも多大な影響を与えた作品だといっても過言ではない。
そんな『TRON』が現代の技術で新たに甦るらしい。
その名も『TRON LEGACY(トロン・レガシー)』。

もちろん、配給はウォルト・ディズニーだ。
驚愕の予告編は↓から
コンピュータープログラムの世界を斬新な映像と世界観で描いた名作だ。
今でいう『マトリックス』やオンラインゲーム仮想世界の先駆けだといえよう。
フランスの画家・メビウスや『ブレードランナー』のスピナーのデザインで有名なシド・ミードもデザインワークに参加しており(オタ電的にいえば、『ターンAガンダム』のMSデザインといったところか)、
アニメーターとしては、ティム・バートンが参加していたりもする。
日本のゲームクリエイターたちにも多大な影響を与えた作品だといっても過言ではない。
そんな『TRON』が現代の技術で新たに甦るらしい。
その名も『TRON LEGACY(トロン・レガシー)』。

もちろん、配給はウォルト・ディズニーだ。
驚愕の予告編は↓から
2009年07月22日
かいじゅうたちのいるところ

久しぶりに予告編を観て、心揺さぶられた。
音楽のセンスも良い。
何というか、普通のファンタジー作品とは違って、子供の頃眠っている間に見た夢を映像で見ているような不思議な気分になる。
原作は、絵本作家モーリス・センダックの『Where the Wild Things Are』。
アメリカでは2009年10月16日公開、日本では来年公開予定らしい。
予告編は↓からどうぞ。
2009年06月13日
●『スラムドッグ$ミリオネア』
打ち合わせの合間に3時間ぐらい時間ができたので、久しぶりに映画鑑賞など。
観たものは↓
『スラムドッグ$ミリオネア』★★★★★
『トレインスポッティング』『28日後…』のダニー・ボイル監督による青春劇。
第66回ゴールデングローブ賞作品賞、第81回アカデミー賞作品賞を含む8部門を受賞。
テレビの人気クイズ番組に出演したジャマール(デヴ・パテル)は次々に出題される難問に正解し、賞金を獲得していく。
しかし、それが不正をしていると疑われ、最終問題の手前で警察に捕らえられてしまう。
厳しい取調べを受けたジャマールは、自分が答えを知りえた真実を警官に語り始めるのだった。
日本でもお馴染みのクイズ番組『クイズ$ミリオネア』に出演したひとりの青年について、
「何故、貧民街(スラム)出身の野良犬のような青年が数々の難問を解く事ができたのか?」という観点から、その過去を回想して辿っていく。
次第に明らかになっていく過酷で壮絶な生い立ちは、当時のインドの時代背景や風土などを織り交ぜながら語られるため、
誇張している部分はあるにせよ非常に説得力のあるものとなっている。
アカデミー賞受賞作品は玄人好みの渋い作品が多い印象が強いが(中には『ロード・オブ・ザ・リング』のようなエンターテイメント作品もある)、
本作は『28日後…』を彷彿とさせるスピード感あるカメラワークと引き込まれるシナリオにスリリングな展開で万人受けする作品に仕上がっているといえる。
原作はヴィカス・スワラップの『ぼくと1ルピーの神様』というフィクション小説なので、
話が上手く行きすぎといえば行きすぎなのだが、それをフィクションと感じさせる瞬間は少ない。
まるで実話であるかのような錯覚を―――現に観ている間、幾度となく覚えた。
「これはフィクションなんだ」「作り話なんだ」とわかっていても、この青年がどんな人生を送ってきたのか知りたくなり、またこのただのクイズ番組の結末が知りたくなった。
それはリアルなインドの風景やリアルな人物描写なくしては成し得なかった事だろうし、そのリアリティこそが本作が他の作品と一線を画している部分なのだと思う。
クイズの答えとジャマールの人生との対比もそのリアリティに裏付けされているが故に真実味を帯びている。
話が進んでいくと、最後の問題までは解答できた明確な理由が描写されているが、最後の問題だけが「何故、答えられたのか?」と思う人もいるかもしれない。
しかし、そこでふとジャマールとラティカの関係を振り返ってみよう。
ラティカを一途に想うジャマール。
再び、ラティカと巡り逢う事ができたジャマールにとって、すでに番組も賞金も答えもどうでも良かったのだろう。
だから、考える事なくAと即答した……ただ一番最初にあった答えを選んで。
冒頭で観客に問いかけられる問題の答えとなる4択。
A. He cheated
B. He's lucky
C. He's a genius
D. It is written
It is written=(すでに)記されている事。
つまり、聖書に記された神の啓示や教えの如く、人間の運命もまた神がすでに記した如きであるという事を「It is written」は意味しているのである。
正解がAだったのは運かもしれないが、他の問題でなく最後の問題の正解がAだったのは、作品で語られているようにそれがジャマールの《運命(It is written)》だったのかもしれない。
そういった描写も含めて、とにかく主演の2人(兄貴も入れると3人)の存在感が素晴らしい。
主人公ジャマールの少年期や青年期のふとした瞬間の表情や仕草、目で語るセリフなきセリフ、ヒロインであるラティカ(フリーダ・ピント)の物憂げな表情や無垢な美しさは、演技を超えた演技となって観る者を惹きつけてやまない。
特に駅のホームでジャマールに気付いたラティカの恋する少女特有の美しさは、ジャマールだけでなく観客もハッとさせられたのではないだろうか。
エンディングロールのインド映画らしいダンスも俳優が踊っているというよりは、ジャマールとラティカが自らの手で掴んだ未来と新たな人生を歓喜して舞っているように思え、違和感なく観る事ができた。
壮絶で哀愁漂い、悲惨だが笑える部分もあり、スリリングで心温まる…そんな不思議な作品が、この『スラムドッグ$ミリオネア』である。
そう、笑えるといえば、ジャマールの兄サリーム(マドゥール・ミタル)とジャマールが工事現場で数年ぶりに再会する場面。
久しぶりに会う兄の姿に驚くジャマールだが、おそらく多くの観客がこう思ったに違いない。
「兄ちゃん、痩せた!!」と(笑)

観たものは↓
『スラムドッグ$ミリオネア』★★★★★
『トレインスポッティング』『28日後…』のダニー・ボイル監督による青春劇。
第66回ゴールデングローブ賞作品賞、第81回アカデミー賞作品賞を含む8部門を受賞。
テレビの人気クイズ番組に出演したジャマール(デヴ・パテル)は次々に出題される難問に正解し、賞金を獲得していく。
しかし、それが不正をしていると疑われ、最終問題の手前で警察に捕らえられてしまう。
厳しい取調べを受けたジャマールは、自分が答えを知りえた真実を警官に語り始めるのだった。
日本でもお馴染みのクイズ番組『クイズ$ミリオネア』に出演したひとりの青年について、
「何故、貧民街(スラム)出身の野良犬のような青年が数々の難問を解く事ができたのか?」という観点から、その過去を回想して辿っていく。
次第に明らかになっていく過酷で壮絶な生い立ちは、当時のインドの時代背景や風土などを織り交ぜながら語られるため、
誇張している部分はあるにせよ非常に説得力のあるものとなっている。
アカデミー賞受賞作品は玄人好みの渋い作品が多い印象が強いが(中には『ロード・オブ・ザ・リング』のようなエンターテイメント作品もある)、
本作は『28日後…』を彷彿とさせるスピード感あるカメラワークと引き込まれるシナリオにスリリングな展開で万人受けする作品に仕上がっているといえる。
原作はヴィカス・スワラップの『ぼくと1ルピーの神様』というフィクション小説なので、
話が上手く行きすぎといえば行きすぎなのだが、それをフィクションと感じさせる瞬間は少ない。
まるで実話であるかのような錯覚を―――現に観ている間、幾度となく覚えた。
「これはフィクションなんだ」「作り話なんだ」とわかっていても、この青年がどんな人生を送ってきたのか知りたくなり、またこのただのクイズ番組の結末が知りたくなった。
それはリアルなインドの風景やリアルな人物描写なくしては成し得なかった事だろうし、そのリアリティこそが本作が他の作品と一線を画している部分なのだと思う。
クイズの答えとジャマールの人生との対比もそのリアリティに裏付けされているが故に真実味を帯びている。
話が進んでいくと、最後の問題までは解答できた明確な理由が描写されているが、最後の問題だけが「何故、答えられたのか?」と思う人もいるかもしれない。
しかし、そこでふとジャマールとラティカの関係を振り返ってみよう。
ラティカを一途に想うジャマール。
再び、ラティカと巡り逢う事ができたジャマールにとって、すでに番組も賞金も答えもどうでも良かったのだろう。
だから、考える事なくAと即答した……ただ一番最初にあった答えを選んで。
冒頭で観客に問いかけられる問題の答えとなる4択。
A. He cheated
B. He's lucky
C. He's a genius
D. It is written
It is written=(すでに)記されている事。
つまり、聖書に記された神の啓示や教えの如く、人間の運命もまた神がすでに記した如きであるという事を「It is written」は意味しているのである。
正解がAだったのは運かもしれないが、他の問題でなく最後の問題の正解がAだったのは、作品で語られているようにそれがジャマールの《運命(It is written)》だったのかもしれない。
そういった描写も含めて、とにかく主演の2人(兄貴も入れると3人)の存在感が素晴らしい。
主人公ジャマールの少年期や青年期のふとした瞬間の表情や仕草、目で語るセリフなきセリフ、ヒロインであるラティカ(フリーダ・ピント)の物憂げな表情や無垢な美しさは、演技を超えた演技となって観る者を惹きつけてやまない。
特に駅のホームでジャマールに気付いたラティカの恋する少女特有の美しさは、ジャマールだけでなく観客もハッとさせられたのではないだろうか。
エンディングロールのインド映画らしいダンスも俳優が踊っているというよりは、ジャマールとラティカが自らの手で掴んだ未来と新たな人生を歓喜して舞っているように思え、違和感なく観る事ができた。
壮絶で哀愁漂い、悲惨だが笑える部分もあり、スリリングで心温まる…そんな不思議な作品が、この『スラムドッグ$ミリオネア』である。
そう、笑えるといえば、ジャマールの兄サリーム(マドゥール・ミタル)とジャマールが工事現場で数年ぶりに再会する場面。
久しぶりに会う兄の姿に驚くジャマールだが、おそらく多くの観客がこう思ったに違いない。
「兄ちゃん、痩せた!!」と(笑)

2009年02月02日
●『ショーン・オブ・ザ・デッド』
●『ショーン・オブ・ザ・デッド』★★★★★
毎日これといった目標もなく、仕事が終われば、行きつけのパブ『ウィンチェスター』でビールを飲み、昼間からゴミ溜めのような部屋で、親友のエド(ニック・フロスト)とゲームをしたりして自堕落な生活を送っているショーン(サイモン・ペグ)。
そんな生活を送っているため、彼女のリズ(ケイト・アシュフォード)にもフラれる始末(というか、ショーンに彼女がいる方が驚きだが)。
『ウィンチェスター』でビールを呑みながら、失恋の痛手を癒そうとするショーンだったが、街では、それよりも恐ろしい事件が起こっていた。
ゾンビ好きによるゾンビ好きのための映画。ジャンル的には、ゾンビ・コメディー。
ゾンビ映画特有のドキドキハラハラグチョグチョ感がほとんどなく、力まずに、時折「んな馬鹿な!」と突っ込みながら観る事ができる。
そこまでゾンビ好きじゃなくとも、「ゾンビはすでに死んでいる」「ゾンビに噛まれた者はゾンビになる」「ゾンビはノロマ(最近のダッシュするゾンビと違い、昔のゾンビはノロマだった)」など、最低限のお約束だけ知っていれば十分。
タイトルはもちろん、ジョージ・A・ロメロ監督の名作『ゾンビ』をリメイクした『ドーン・オブ・ザ・デッド(Dawn of the Dead)』のパロディ。
タイトルこそ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』だが、登場するゾンビは往年のゾンビ映画に登場するゾンビをモチーフとしている。
ダニー・ボイル監督の『28日後...』以降、全力疾走して迫ってくるゾンビが主流となった感があるが、ノロノロと大群で迫ってくるゾンビも、正に生ける屍という感じで薄気味悪い。
作品中では、そのノロさがショーンのボケと巧く絡み合って、ゾンビが街中に溢れ始めているにも関わらず、
ショーンが「あれ?今の……」と一瞬思うだけで全く異変に気づかなかったり、ニュース速報を気にしなかったり、ゾンビをただの酔っ払いやホームレスだと勘違いしたり、
ゾンビに見つかったら最後という緊迫感のある最近のゾンビ映画にはないシュールなシーンを随所で見せてくれる。
テレビで「おい、何かヤバそうなニュースやってるぞ」と思い横を向くと、ゾンビが立ってて、2人して「あァァァ!!」とか、
武器用にレコードを持ち出し、お気に入りやレア物以外で投げていいレコードを選別しながら、ゾンビと戦ったりとか。
その極めつけは、ゾンビの大群がいる中を通り抜けようとするシーン。
今まで多くの人が考えても実践した事のない「もしかしたら、ゾンビの真似したらゾンビに気づかれないんじゃ?」という疑問に答えを出してくれている。
本作は、要所要所で使われる音楽も印象的で、AshのMeltdown、The SmithsのPanic、Grandmaster FlashのWhite Linesなど、選曲のセンスも素晴らしい。
特に、Queenの『Don't Stop Me Now』にあわせてゾンビを殴るシーンは、全てのゾンビ映画の中でも屈指の名シーンではないだろうか。
コミカルな演出の多い本作だが、ゾンビを巡る家族や友人との絆、リズとのラブストーリー、そしてショーンの自立なども描いており、笑えるだけではないところに制作者側の計算された巧さを感じた(小道具の花束や煙草など、伏線の回収もしっかりしている)。
ストーリー的にも映像的にも、スプラッタなシーンは他のゾンビ映画などに比べてほとんどなく、コメディとしても、ゾンビ映画としても完成度の高い本作なので多くの人にオススメしたいところだが、
終盤のパブのシーンで唯一といっていい内臓系のシーンがあるので、スプラッタが全くダメな人には難しいかもしれない。
『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』でも一部のスプラッタシーンで同じような事を感じたので、そこが少し残念といえば残念だが、
本作の場合「それがゾンビ映画だ!」といってしまえばそれまでだろう。
わかっていた事だが、本作は最初から最後まで、ゾンビ愛、いやロメロ愛に満ち溢れている。
ラストがハッピーエンドなのも、この作品らしくてGOOD!

毎日これといった目標もなく、仕事が終われば、行きつけのパブ『ウィンチェスター』でビールを飲み、昼間からゴミ溜めのような部屋で、親友のエド(ニック・フロスト)とゲームをしたりして自堕落な生活を送っているショーン(サイモン・ペグ)。
そんな生活を送っているため、彼女のリズ(ケイト・アシュフォード)にもフラれる始末(というか、ショーンに彼女がいる方が驚きだが)。
『ウィンチェスター』でビールを呑みながら、失恋の痛手を癒そうとするショーンだったが、街では、それよりも恐ろしい事件が起こっていた。
ゾンビ好きによるゾンビ好きのための映画。ジャンル的には、ゾンビ・コメディー。
ゾンビ映画特有のドキドキハラハラグチョグチョ感がほとんどなく、力まずに、時折「んな馬鹿な!」と突っ込みながら観る事ができる。
そこまでゾンビ好きじゃなくとも、「ゾンビはすでに死んでいる」「ゾンビに噛まれた者はゾンビになる」「ゾンビはノロマ(最近のダッシュするゾンビと違い、昔のゾンビはノロマだった)」など、最低限のお約束だけ知っていれば十分。
タイトルはもちろん、ジョージ・A・ロメロ監督の名作『ゾンビ』をリメイクした『ドーン・オブ・ザ・デッド(Dawn of the Dead)』のパロディ。
タイトルこそ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』だが、登場するゾンビは往年のゾンビ映画に登場するゾンビをモチーフとしている。
ダニー・ボイル監督の『28日後...』以降、全力疾走して迫ってくるゾンビが主流となった感があるが、ノロノロと大群で迫ってくるゾンビも、正に生ける屍という感じで薄気味悪い。
作品中では、そのノロさがショーンのボケと巧く絡み合って、ゾンビが街中に溢れ始めているにも関わらず、
ショーンが「あれ?今の……」と一瞬思うだけで全く異変に気づかなかったり、ニュース速報を気にしなかったり、ゾンビをただの酔っ払いやホームレスだと勘違いしたり、
ゾンビに見つかったら最後という緊迫感のある最近のゾンビ映画にはないシュールなシーンを随所で見せてくれる。
テレビで「おい、何かヤバそうなニュースやってるぞ」と思い横を向くと、ゾンビが立ってて、2人して「あァァァ!!」とか、
武器用にレコードを持ち出し、お気に入りやレア物以外で投げていいレコードを選別しながら、ゾンビと戦ったりとか。
その極めつけは、ゾンビの大群がいる中を通り抜けようとするシーン。
今まで多くの人が考えても実践した事のない「もしかしたら、ゾンビの真似したらゾンビに気づかれないんじゃ?」という疑問に答えを出してくれている。
本作は、要所要所で使われる音楽も印象的で、AshのMeltdown、The SmithsのPanic、Grandmaster FlashのWhite Linesなど、選曲のセンスも素晴らしい。
特に、Queenの『Don't Stop Me Now』にあわせてゾンビを殴るシーンは、全てのゾンビ映画の中でも屈指の名シーンではないだろうか。
コミカルな演出の多い本作だが、ゾンビを巡る家族や友人との絆、リズとのラブストーリー、そしてショーンの自立なども描いており、笑えるだけではないところに制作者側の計算された巧さを感じた(小道具の花束や煙草など、伏線の回収もしっかりしている)。
ストーリー的にも映像的にも、スプラッタなシーンは他のゾンビ映画などに比べてほとんどなく、コメディとしても、ゾンビ映画としても完成度の高い本作なので多くの人にオススメしたいところだが、
終盤のパブのシーンで唯一といっていい内臓系のシーンがあるので、スプラッタが全くダメな人には難しいかもしれない。
『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』でも一部のスプラッタシーンで同じような事を感じたので、そこが少し残念といえば残念だが、
本作の場合「それがゾンビ映画だ!」といってしまえばそれまでだろう。
わかっていた事だが、本作は最初から最後まで、ゾンビ愛、いやロメロ愛に満ち溢れている。
ラストがハッピーエンドなのも、この作品らしくてGOOD!



